シール解説
言葉の裏を読み取るというのがシール裏面の言葉遊びの面白さだと思うんだ。実は被害者のふりをして実際は加害者だろっていう事例も多々あるわけだ、この世には。
単純な仕組みだと、「あたり屋」なんてものがそうで、あたりって言ったって予想的中させる商売じゃぁないから、そこらへんは気をつけてくれ。(笑)自動車などにわざとにぶつかって示談金や保険金を取って生活してる人のことを「あたり屋」って呼ぶ。
自動車保険なんかに勤めてる人だとよくわかるだろうけれど、しょっちゅうこんなことばかりやってる職業なので、名前や住所を聞いただけで保険屋はあたり屋かどうかがすぐわかる。そのぐらい有名な奴とかもいるし、親が子供に、あたり屋させてるってパターンも非常に多い。
別に、あたり屋にかぎった話だけではなく、乗り物の音がうるさい場所に住んでる住人やゴミ処理の匂いや煙で迷惑してるような住人にも下手すると似たような現象がおきてしまう。最初は、被害者なわけだ。騒音にしても悪臭にしても被害を受けてるからデモなりなんなりで訴えて保証金のたぐいをもらう。
それは問題なく対等な行為ともいえるけれど、なかにはその蜜の味を覚えてしまう奴もいるわけだ。被害者であることをしつこく訴え続け、定期的に保証金をもらおうと考える奴や、現在もらっている金額をさらに高額にしようという思惑のためにデモをする。
こういうパターンになってくると被害者が加害者に反転するわけであり、従来ある弱者のためのシステムを悪用されてるに他ならない。じゃぁ、悪用する側はどう思うかっつーと、システムとして決まってるものを利用して何が悪いっていう開き直りの思想なわけだ。
どのような仕組みやシステムでも、一周してみると偽善だったり偽悪だったり白黒反転するような事柄になりかねない。甘い蜜を吸おうとする奴がいるということは、同じ数だけ吸われる被害者もいるわけで、人の数は決まってるのだから、吸う側に回ろうとする比重が高くなると、無限連鎖法のようにどこかで仕組みじたいに歪みがしょうじるんだよね。
こうした社会の闇(病み)を「玉手箱」(多魔手箱)に例えたとき、煙すって爺になったと訴えたとことで、煙吸わないで生きてたとしても、あんたの実年齢は爺だよってね。(笑)浦島太郎を逆手にとると、さんざん贅沢したあげくに、被害者顔して訴えるというようなストーリーもありかなって。昔話(おとぎ話)も一周すると良い話にも悪い話にもなりえるし、結局は大切なのは教訓から何を学ぶかなんじゃねぇじゃねぇかなーと。
1つのパターンにはまって生きているだけじゃぁ、見えないこともあるというわけですわな。