2019年4月18日:コンセプトシールアート

ストアーズのイベントに行ってきました。

ええ!もちろんシールの話しかしてませんよ!

名刺交換も俺だけシールです。(笑)

途中でクイズ大会があって、優勝してチョコもらいました。
記念撮影もしましたよ・・・

この姿でな!(笑)

と、ギャグパートはこのぐらいにして。(ここまで実話です・汗)

◆ITとシールの融合は可能か?

いや、もうやってますけどね。(笑)
人工知能シールの開発を俺はしてるので、それが答えかなぁ。

機械学習で自動化させるには1万~10万枚はデータが必要なので、それだけ新規イラストを描かないといけない。

オトギークが30弾までで約1000枚ぐらいキャラクター数があるわけだが、これは最初の1年(2~3ヵ月)で仕上げている。そこから計算すると不可能な数値ではない。(他シリーズも合計すると現段階で数千枚規模はクリアできてる)

なぜ手描きかというと著作権的な問題をクリアするため。というか今の人工知能って萌え絵しかないからね。あれは版権的に、フリーの萌え絵が大量につかえるから、それをデータの基本ベースにして実験しているというだけのこと。

俺は人工知能AI研究がしたいわけではないから、アルゴリズムの進化とはどうでもいい。重要なのは、もう1人の自分をサイバー空間に投影して2倍のスピードで動けるようにする部分にある。

組織化して人を雇って作業させる個所を補えるってのは非常に助かるんだよね。実際に会社作って人雇って手広くやってた経験あるけれど、人間ほど大変な生き物はない。かといって1人で全部を賄うには物理的な時間が足りなくなる。

ようするにクリエイティブな箇所と、マーケティングの箇所、プランニングの箇所、リサーチの箇所、コミュニテーの箇所、などなどを1人でやるのと、各自を専門分野として振り分けるのとでは、単純に1時間の分配率が違うので作業効率が変動する。

でもこれも落とし穴で、人は複数集まると一定数はサボるようにできている。あとは、役割演技法の心理ってのがあって、自我とは別に役職を演じようとする自分が生まれるようになっている。社内イジメみたいなのとか、大人社会なのに会社の利益にならないクソ行動が起きるのは、こういう人間心理ってのが関連してくるからなんだよね。

そういう現象をバランスとらせせる役割が管理職なのだけれど、それも結局は役職という情報でしかなくて、結局は仕事を引継ぎできるということは、プログラミングされた人間社会ということにほかならない。マニュアルがあるわけだから。

ロボットが人間に取って代わる未来なんてのは、先の話だとしても、現段階で仕事の能率を上げるために、AIを活用して個人を疑似組織化することは可能なのではないか?という仮説が俺の考えにある。だから来年は、そこらへんを中心にして動きたいなと思っている。(シールに限らず)

◆新しい市場のための社交場

非コレクター(シールに興味のない人たち)へシールの魅力を伝える。
それが今俺がやってることだ。だからまったく違う社交場に行ってシールの話をしている。

うちの価格帯が安いのは、子供でも買えるようにするため。シールに興味ない人でも気軽に手に取れるようにするため。利益優先ではなく、シール愛が優先なんだよ!

エッセイ漫画でホーミズの話をしただろ?あ~ゆうことなんだよな。

Zineenブランドでいうと、チャリティーTOYとかがそれにあたる。<障害者><復興支援などシールでも人の支えになるし、知育玩具としての役割を担うことはできるんだ。

ぶっちゃけ売れるとか売れないとかはマーケティングの問題だから。あとは市場のパイがどの程度かという部分ね。だからたくさん売れてるから偉いとか、儲かってるから凄いとか、一律ではいえない。基礎や仕組みが理解できて応用力があるかのほうが、はるかに能力としては重要。

今からカメラのフィルムを現像するビジネスはじめる人はいないでしょ?デジカメに取って代わられたわけだし。

アナログカメラじたいの需要はマニアが支えるだろうから、そこはなくならないだろうけれど、市場規模は縮小してるのは誰でもわかるよね?市場が縮小してるから客単価上げないと成立しない。でも皆が同じことやってると差別化はできない。

これをシールに置き換えても同じことで、シール業界的な観点からみれば、ウチは捌ける(はける)数は多くても客単価が安いから利益率は、そこまで高くはならない。生活はできても、儲けを優先で考えるのならば、そもそもアナログ商品なんかに手を出さないつーの。

じゃぁ、なぜシール作ってるかというと、そこには「信念・信条」といった<思い>があるからだ。

◆コンセプトアートだと最初から提示してる

「80年代が現代もそのまま続いていたら?」というテーマで作ってると最初から俺はブログで言っているよね?ようするに、その架空の設定の疑似体験を皆さんにしてもらっているのが、この5年間の概念としてのARTなわけ。

『80年代バブル期に発売されていた多くのシールは全て打ち切りで現在は発売中止になっている。でも、もしも!いまだに発売され続けていたとしたら?どうなるのか!?』

このコンセプトをZineen-Shopのオマージュ系商品でやっているわけ。だからマイナーシールのオマージュが、おおむね全部完成したと同時に、概念としてのARTは一区切りをむかえる。

特にオトギークの30弾を超えるというのは、特別な意味があって、当時と同じ2ヵ月に1回の間隔ペースで発売し続けて、最長弾数を記録更新するという部分が重要なのね。

ここから先は、本当の意味での未来なんだ。「第100弾オトギーク」なんて異常な世界でしょ?でも幼少期に存在していた時間軸が、いまだに継続されている未来を疑似体験できるって素敵なことじゃないか?と俺は思うんだ。

漫画や映画や小説でも、人の心を動かしたり、支えになったりする切っ掛けを与える事はあるだろう?それと同じようにシールでも、そうしたことは可能だと俺は考えている。だから<チャリティーTOY>とか、そういう企画を考えて発売するんだ。

たかだかシール1枚でも、大人が子供に教えられる事ってあると思うんだわ。

飯食わせて学校通わせることが教育か?テストを暗記して100点取る事と、学んで人生の肥やしにする事では、どちらに意義があると思う?目の前にあることが真実だとは限らない。自分で動きつかみ取らなきゃならない情報や体験なんて山ほどあるのだから。暗記が必要な場面もあれば、失敗から学ぶことじたいが必要な人生もあるであろう。

大切なのは、どのようにして生きるかだ。

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