◆印刷、裁断、気泡など試行錯誤の連続
オトギーク第1弾は、「Zineen」(ジニーン)名義での最初の作品。当初から80年代のビックリマンと同じペース間隔で発売しつつ、30弾を超える事を目標として制作された。
最初は、ハンドメイドなため試行錯誤して作っていた。とにかく大変なのが白印刷で、
筆で白インクを塗ったり…
テクスチャーを作り白スプレーを吹きかけたり…
アルプスのプリンター(廃盤)で印刷したり…
また裁断や気泡ができる問題なども解決方法に悩みまくっていた時代でもある。
あらゆる自作シールを購入して、剥がしたりして研究などもしていた。(のちに自作と名がついていてもハンドメイドではないという事を知ってショックを受けるのだが・笑)
オトギークは第1弾が1番売れていて、購入人数も桁外れに凄い!当時はシンオクシールと同時期にamazonでオトギークが発売されたというのも大きいだろう。
長期シリーズというものは、どんな大御所でも(シールに限らず漫画や小説などでも)必ず売れ行きは下がっていくと統計的には決まっているので、はじめからそれを見越して作り続ける覚悟で臨んでいる。
◆オトギークの没絵
これは第1弾のボツにしたキャラクター。実際にシールにして印刷したが気に入らないのでボツにして描きなおした。描きなおしたキャラクターが「聖ジョッキー」「ヘルパーンダ」なのである!
太陽軍ノーマルは発売直前までデザインを悩んだ。
最終的には、コスト削減を考えてインク代がかからない白バックにしたと。
ちなみに裏書の絵柄も、当初は新規に描き下ろしていた。これを30弾までやると凄い時間がかかるので、表絵のコピーに切り替える事に…
本来ならこだわりたい個所は、たくさんあるわけだが、どこを妥協して確保した時間をどこにつぎ込むかも大切な選択なのである。
◆オトギークは80年代の追体験である
オトギークはシール表現におけるテストでもあり、また80年代当時のビックリマンと同じ間隔を保つことで当時の苦労や大変さを追体験しつつ、なぜ80年代ブームが起こっていたのかの原因を追究するという目的が大きいのである。
ちなみにデザインはビックリマンでなく、実はドッキリマンをオマージュしている。
裏書の「対決!」という文字はドッキリマンと同一であり、当時の駄菓子屋の「引き物シール」においてドッキリマンは唯一のオリジナルキャラクター商品であった。
ドッキリマンは、よくパチ(偽物)扱いされているが、実際は、ビックリマンと似て異なるオリジナルシールである。
イラストレーターも「かっとび忍者」というお菓子のオマケシールを描いていた人物と同じと言われていて、ビックリマンのキャラクターを描きなおした偽物とは違うのである。
画像は所有している当時の「かっとび忍者」広告。ドッキリマンと同じタッチのイラストであるため同一人物が描いていると推測される。
ビックリマンは、反後四郎さんが考えたシールシステム(シールに物語性を追加する表現企画)が究極の発見で、そこに世界観にピッタリの上手いイラストが組み合わさったことで流行したと思う。
こうした裏で「引き物」として流通したドッキリマンは、イラストは下手くそで子供でも描けそうな感じと、オリジナルのストーリーであった。
左「ビックリマン」
右「ドッキリマン」
比較すればわかるが、3つともオリジナルのキャラクターであり、似て異なる作品なだけである。ちなみに、オトギークの背景の黄色い〇は、月をイメージしているため黄色のバック色は存在しない。
法律的には新たなデザインというものは3年経過すれば、似て異なるデザインを出しても問題ないとのこと。弁護士の記述を直接調べてから問題ない範囲で作っているが、詳しい事は時間ができたらまとめようと思う。(情報ソース元がすぐに出てこないため)
ビックリマンのイラストが、どれだけ上手いかは一目瞭然。反後さんの企画とマッチしているからインパクトが出る。
逆にドッキリマンがロッテから発売されてもマイナーシールどまりであろうとわかる。絵と企画のマッチング要素は重要。
しかしドッキリマンは「引き物」の中ではトップシェアをほこるほど売れていたので、やはりオリジナルティというものはパチを超えて伝わる機動力があると分析できる。
ちなみに…「引き物」とは?画像のように袋を引くオマケ玩具の事をいう。駄菓子屋で発売されていた独自の流通システム。
同時期にはコスモスのガチャガチャで発売された「イテテマン」などもあるが、これもオリジナルのイラスト&ストーリーで最初は進んでいた。
しかし徐々にコピー商品と化し、ビックリマンそのものをコピーしてロゴをロッチにした偽物で有名となり潰れたという流れになる。
ビックリマン自体も、30弾で終了となり、物語も完結していない。一応、超元祖として完結はしたが、反後さんが作った最後のオチではないので、どうとらえるかという部分もあるだろう。
◆シール文化も継続して受け継がないと衰退する
こうした時代背景を考えると、もしもスーパーマンやバットマンのように100年も継続され続ける物語としてコンテンツを作っていけば、どうなるのか?という思いが自分にはあった。
実際欧米では、アメコミなどは、ストーリーを作る人や、イラストを担当する人を変えつつ、世代を超えて発売し続けるという仕組みを築いている。
引用元:http://www.afpbb.com/articles/-/2714932?pid=5553592
サザビーズなどの高級オークションでも歴代の1位&2位はバットマンとスーパーマンの初版本だったりする。
ゴッホやピカソの絵画とアメコミが同一のARTとして扱われているわけだ。
事実、当時のシールだって現在では高額取引されているわけだが、これは歴史が築き上げてきたから成立するわけ。
漫画や映画という文化が、現在まで継続しているから、誰もが娯楽として楽しめるフィールドとして認識されやすいのと同じ。
シール文化は、1つの物語を伝えられる手法として使えるということを、80年代当時の大流行によって知らしめたというのに、、、、
それを継続し受け継ごうとする者がいないということが問題だとずっと思っていた。
このままでは衰退してしまう「シール文化」において、新たなニュージェネレーション世代としてのシール文化に一石を投じることができるか!?という勝負の意味を込められたのが「オトギーク」でもあるわけだ。