「苦ラゲ」の解説でも同じようなテーマが出てきたけれど、菜食主義や肉は禁止だが魚は食すという理由について掘り下げている内容。
生命にたいする優先順位をかかげている場合、その食物じたいが人工により命をもたずに作られていた場合は、どういう解釈や位置づけになるのだろうか?という問いかけでもある。
それにたいする俺の解釈は、「何かしらの生物を食すことで自己の生命体を維持するという仕組みには、感謝とう気持ちを忘れてはならない」というものであることはすでに述べてあるので、ここでは絵柄にたいする解説でもしようかな。
なぜ木の枝にイワシの頭がささっているのかというと、「節分の日」には豆まきの習慣の他に、イワシの頭をかざるというものもあるためだ。これを柊鰯(ひいらぎいわし)といい節分に魔除けとして使われる。
つまり哺乳類などの肉は食べないが、魚は殺して食する人たちがいたとしても、魚類の立場からすれば天敵でしかないわけ。それにたいして魔除けを自分でおこなって、ヒィィ~と恐怖の掛け声と柊鰯(ひいらぎいわし)=イワシ(イワ死)をかけているわけ。
個人的にあまり「死」という言葉を使いたくはないのだけれど、表現として仕方ない場合は使うことにしている。なぜその言葉を使ったのか?という解説は、こうしてブログで記載しているので、細かいところまで読めばいい。
こうした深い仕掛けが、わからん人は、表層的な箇所だけみてかってに判断すればいい。1枚1枚のシールに対して本質とは何か?を思考して考察することがオトギークの目的なのだから、集めた後に作者が何を伝えようとしているのかをじっくり考えることができるタイプであるかどうかは、シール側からも人を選ばれているということでもあるのだ。