解説
「食乃処満腹」の解説でも少し話したが金銭というものは共通概念でしかない。流通をスムーズにするために共通の価値観を共有する必要があるためのシステムでしかないわけだ。だからといって人はエネルギーによって動くわけだから対価としての等価交換が必要になってくる。
排出したエネルギー量は飲食によって補うわけだが、その食料もまた誰かがエネルギーを消化して育てた作物である。すなわちこうした輪廻(ループ)を繰り返して日々の生活をおくることが生命体であるともいえる。もう少し視点をかえると食物連鎖ですらそういえるであろう。
「がんばれ大将軍」はチャリティー玩具であり、寄付を目的として作られている。しかしシール1枚を作るにも原価がかかり労力がかかるというエネルギーを消費した活動であることはまぎれもない事実だ。さらには寄付した後も誰かの労働により被災者の救いになるという繋がり(リンク)が輪廻(ループ)していくという仕組みに変わりはない。
金は中間流通としての役割として使えるシステムではあるが、必ずしも万能ではないし効力が無効化される場においては無価値となる。大切なことはリンクやループといった生命体としての自然な仕組みにあるわけであり、それじたいは無効化できないことにある。つまり重要となる箇所は【仕組みとなるシステム】にあるわけであり、個々の役割じたいに振り回されたり絶対的な価値観だと勘違いしてはならない。
裏書の意味
「寄付は偽善的活動であるか?否か?」というテーマを論じた裏書になっている。例えば数億円という資産を持つ者が他人から寄付金を集めるという行動には疑問を感じる。なぜならば印象コントロールによるイメージUPに利用しているという事と、活動自体が税金対策になるからである。
そもそも寄付はしてくれと煽るものではない。寄付は自主的にする活動であるのだから、自分が寄付したいのであればそれじたいをアピールすればいいだけである。他人を巻き込んで、「あなたも寄付しましょう」などという事に嫌悪感を感じる人がいることも納得はできる。
同じように、難病チャリティー企画で「氷水をかけるか寄付をするか選択してください」などというPRの仕方も宣伝効果としては正解だが慈善活動としての手法としてはいささか疑問に感じる。例えば、水不足で死にそうな人々は世界各国でたくさんいる。そういう人たちの前で氷水をかぶる事ができるのか?
これ実際に水不足の地域の人が実践しているんだよね。彼らは氷水の変わりに瓦礫を頭からかぶりこう言っている。「我らは水不足で氷水を頭からかぶる余裕などない。しかしチャリティーそのものを否定しているわけではないから代用として瓦礫を頭から被る」と。
俺としては、この姿勢には納得できる。氷水である必要性がまったくないし、苦しみは難病以外にもたくさんあるわけだから。
ちなみにアイスバケツチャレンジ(氷水募金)の義捐金結果も俺はチェックしていて、その内訳は次のようになっている。
この研究費により「NEK1」というALS患者の遺伝子を特定できたとしている。それじたいはとてもすばらしい結果であるし、寄付した後の結果を証拠として残すことも重要だ。なぜなら義捐金詐欺や寄付ビジネスなども横行して問題となっているからである。
何度も言うが、寄付そのものに偽善も偽悪もない。それを後ろ盾にして寄付金を煽ったり、寄付の目的とまったく関係ないアプローチを他者に共用したりするPR手法にたいして嫌悪感を感じる人がたくさんいることにも理解できる。
それについて俺なりに資料を集め考えて出した結論が【チャリティー玩具】という企画であった。
寄付をするのは俺の自由意志であり、そのために作品売り上げの一部を自主的に寄付するにすぎない。コレクター(購入者)はただその作品が欲しければ集めればよいし、その結果論として被災者のためになっただけである。寄付をするとは告知しても、だから買ってくださいと強要はしない。重要なのは仕組みであって、その作品1つ1つも意味があるという事を知ってもらうために、こうした解説含め主張をしているだけである。
たかだかシール1枚や、オモチャであっても人を救うことはできるという証明をしたかったし、実際にそれは可能であったと結論できる。(2016年現在で11万円の寄付を赤十字にしています。次は100万円以上が目標。)コレクターがシールやカードなどを集めることで人を救済することができるという仕組み(システム)を構築したかったわけだね。